2014年6月20日金曜日

第3章 NPO所属時代 2006年

ダクラック省政府の許可がいつまで経っても下りない。
中央政府の許可が下りたんやから、省政府もすぐやと思っていたけれど、
小栗さん曰く
「王権も村の中までは入ってこないということばがベトナムにはある。」という。

その頃、某大手花の会社が、ベトナムで花の事業をしたいとのことで、
片山さんのプロジェクトに興味を持って話があった。
片山さんの考えでは、日本の有機農家、関係会社にベトナムの農家の子弟を研修生として受け入れ、農家で一年間働いた後、ベトナムに帰国。帰国後研修生とともに、事業を構築するというもの。

なかなか、NPOのプロジェクトの方が始まらないので、
先に、帰った後の事業をつくるところから開始することになった。

片山さんと話し合う。
「自分は、花の事業は嫌です。有機農業を広めるということに賛同して、このプロジェクトに参加したのに、花の事業は農薬を使うから嫌だ。」と頑なな自分。
「お前は、ものごとを単純化するからいけんのんじゃ!ものごとは、プラスもあり、マイナスもあり、その両方を見ることが大切だ。この花の技術をここに導入すれば、ビニルハウスのつくり方や、苗つくりの技術がここに根付く。これは、有機農業にも応用できるし、ここの農業の発展にとって、プラスになるとワシはみちょる。」と片山さん。
農業を経験したことのない自分が、経験もせずに反対することも、おかしなことだし、
有機農業の第一人者の片山さんがそういうんやからと、自分も承知した。

花の会社をダクラック省につくることを申請した。
面白いもので、花の会社の話が動き始めると、ダクラック省の人民委員会も自分たちの本気度を確認したのか、NPOの許可も下りた。

確か、2006年の6月頃だったと思う。結局、1年間は、日本語を教えないまま終わった。

つづく

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