2014年6月20日金曜日

1章 途上国に行った理由 及川先生の合同ゼミ~2003年

「しおじい。成人式なんか、行ってたら大物になれないぞ。」

及川先生のそのひとことで、成人式をさぼって、京都大学生と、鳥取環境大学生との合同ゼミに参加することになった。

「水戦争の世紀」という本に書かれた世界観は、財政難の中、公の水道施設も民営化し、また、企業は水源を確保し、水を商品として販売し、業績を伸ばしている。そういった状況で、水の足りない途上国などでは、金持ちは、水を購入できるが、貧乏人は水を入手できなくなっているというのである。

水は権利なのか、はたして、ニーズ(商品)なのか?
京大の法学部の人達は、ちゃんと資料も準備して来ていて、財産権に入れるべきなのかや、アフリカのどこどこの国では、憲法で水は、生命権だか、人権だかと明記されている。というような、論理を展開する。
しかし、我ら環境大学のメンバーは、水は大切なんはわかるけれど、公共の施設も財政難なんやし、民営化するしか仕方がないんとちゃうやろうかとか、仕方がないんとちゃうかなあ。とか、農村に行けば、川から水を汲んできたり、井戸水があったり、何かしらの水を入手する方法があるのではないかなど、そんな感じだった。法律を学んでいる方に失礼になるかもしれないけれど、憲法に水は命の源で、人間の生存に関わる基本的人権だ。と書かれることが、どれほど、重要なことなのか、そのときは、わからなかった。
それに、水戦争の世紀に書かれている途上国で起こっている問題が、
水資源の豊富な日本で、また、海外に行ったこともない自分にとって、ピンと来なかった。
それで、「いっぺん行ってみんとわからんなあ。」と思い立った。

つづく

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