2014年6月20日金曜日

2章 バックパッカー 2004年8月 汽車の中

4人掛けでボックス席だった。窓際の席に座った。どうも、貨物輸送の会社の社員旅行の中に紛れ込んだらしい。自分の右前のおっちゃんが船長らしく、台湾、韓国、日本にカーゴ(輸送コンテナ)を運ぶ仕事をしている。自分の目の前、つまり船長の隣に座っているのが、船長の息子で中学生くらい。右隣には、船長の会社の社員の息子らしく、産婦人科を勉強する大学生とのこと。
ダナンまで15時間かかる。このメンバーで何を話せばいいんだ。

自分が日本人であるということがわかると、船長の息子が話しかけてきた。
日本のゲームはすごい。僕は将来ファイナルファンタジーのようなゲームをつくりたい。
あなたは、ティファとエアリスどっちが好き?
というような、ゲームの話ばかり。
海の男の船長が哀愁漂う目をしている。
(せっ船長。わかるよ。船長の気持ち。。。)

汽車の中では、お弁当が配られる。これもチケット代の中に含まれていたので、助かった。
ただし、基本は、白ご飯と漬物程度のみで、もっと欲しい場合は、別途、おかずを購入しなければならない。自分が白ご飯と漬物をもそもそ食べていると、船長が、そんなもんじゃ腹が膨れねえだろう。とばかりに、揚げ春巻きや肉類を購入して、自分の弁当に入れてくれた。

朝ごはんは、インスタントラーメンが配られて、汽車の中でお湯を注いで食べる。
すると、社員の人たちが、インスタントラーメンを食べないのでと、みんなでインスタントラーメンを自分にくれた。その上、駅で停車するたびに、物売りの人がやって来て、その度に、おばちゃん達が果物だったり、豚肉を葉っぱでまいた保存食を買って、自分にわけてくれた。

途中、ハイヴァン峠、ハイヴァントンネルに差し掛かったときに、船長が言った。
「このトンネルは日本がつくったんだ。それまで2時間かかっていたのが、30分で峠を越えることができるようになったんだ。」

日本のODAって現地でぜんぜん役に立っていないってイメージを持っていたし、また、アジアの中で日本は憎まれているというイメージを持っていたのだけれど、ぜんぜん、そんなことがなくて吃驚した。

だまされたのもベトナム人なら、助けられたのもベトナム人。この国がだんだん、好きになってきた。

つづく

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