日本語の教室を借り、生徒も集め、日本語教室も始まった。
花の事業も、竹のビニルハウスを建て、試験栽培も始まった。
待つだけの日々から、毎日忙しい日々となった。
文化の壁、ことばの壁もあり、一喜一憂の日々を過ごす。
農家さんと仲良くなったり、公安の人達とお酒を呑んだり、政府関係の人たちへの書類を提出したり、ありとあらゆることに忙殺されていたと思う。
NPOから、毎月400USDを支給されていた。これは、活動費+生活費として使い、残った分は貯金していた。活動が忙しくなるに連れ、活動費の方が増えて来て、確か、もうお金がほとんど残っていなかったことかと思う。
銀行に言って、窓口でお金を下ろしていたときに、
顔見知りの受付の女の子が、
「どうしたの?」と聞いてきた。
「お金がなくて、悲しい。」と答えると、
「2本の手があれば、また、働けるよ。働けば、また、お金が貯まるわよ!」
って励ましてくれた。
ベトナム人の強さを感じた。
それからは、お金がなくて苦しいときは、自分の手を見ることにしている。
つづく。
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