2014年6月20日金曜日

第3章 2005年 NPO所属 小栗さん

小栗さんは、シータスという印刷会社を経営するおじいさんだ。
元々、学生運動の過激派のブントというセクトに所属していたとのこと。
ベトナムには、当時、ベトナム戦争反対運動に青春を燃やしていた闘士が、
我が青春のベトナムよとばかりにやってくる。
片山さんとも付き合いが長く、TRUNGさんとも長い付き合いとのことで、BINH DUONG省のTRUNGさんの工場によく訪ねて来た。
いろんな指示を受け、みつろうを使い、石鹸やキャンドルをつくったり、らっきょうを乾燥させたり、海ぶどうの調査や、ニームの木を探すことや、小栗さんが興味を持つ、ありとあらゆることを手伝った。ワシのパンツを洗え!と言われたが、流石にそれは、断った。
ベトナム語も満足にまだ、使えなかった時だけれど、辞書を片手に通訳の真似事もさせてもらったり、とにかく、世間知らずの学生である自分をスパルタで教育してくれた。
「人間は、個人対個人で平等だ。」と主張する自分に徹底して「立場」というものを教えてくれた。

よく罵声を浴びせられた。
「拝金主義になるな!」「突っ張るな!」「どうしようもねえな!てめえは!」
ベトナムのあちこちに連れて行ってもらうことは、とても嬉しかったが、小栗さんが来るたびに、口内炎ができた。最初のうちは、3つできていたのが、だんだん、2つ、1つと症状が軽くなっていった。
最後は、口内炎もできなくなった。

ある晩、ホーチミン市の高級ホテルの部屋で、高級ウイスキーを小栗さんが飲んでいて、自分も頂いていた。後、ベトナムシータスの社長、笠戸さんもいっしょだった。
テレビに南の島と牛が映っていた。

小栗さんが、何気なく
「この牛は泳いで島を渡るんだよ。」とつぶやいた。
「また、小栗さん、いいかげんなことを」と口にだしてしまった。
「本当だ。」
「いや、自分は信じれないですね。」と酒が入っていたのもあり、余計なことをいったとたん。
「ワシの言うことが信じられないのか!!」と小栗さんの逆鱗に触れた。
「そこに立て!」と恫喝され、殴りかかられた。
びっくりして、左手で払いのけた。
再度、殴りかかられそうなところを。笠戸さんが止めてくれた。

なぜか、涙がぽろぽろ出てきて。トイレに言って、顔を洗って来た。
少し、時間が経つと、小栗さんも冷静になって。自分もだまっていて。
そのまま、笠戸さんが帰った。

その後、何を話したかは覚えていないけれど、ぽつぽつと小栗さんが諭すようなことを言って、
自分が人生やら、なにやらわからないことを話していたと思う。
何も知らない二十歳の若造に、真正面から応えてくれる人はとても珍しいと思う。

後に、笠戸さんから、「泳いでいたよ。牛。」と教えてもらった。

つづく。





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